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昨日の話

物理の時間


万有引力の導入で地動説についての話しがあったが

教師「昔の人は天に”天球"というものがあって、それに太陽や星が埋まっていて地上を中心に回ってると信じててんな~、何が天球を動かしてるかっていうと"神が動かしているんです!"ってわけや」

ここで軽い笑いが教室内に広がった。どんなところに笑ったかというと「そんな馬鹿な話があるか」といったものだとうかがえた

俺も笑っていたわけだが、ふと次の瞬間思った

「いや、でもこう笑っている自分達もその話を信じていた人々と同じなんじゃないだろうか」と


昔の人々は天動説を常識とし、地動説は「神に対する冒涜」とした
今の人々は地動説を常識とし、天動説は「論理的に成り立たない」とした



この二つには根拠こそ違え、「自己の知識を常識とし、それと反する説はありえない」という考え方は同じなのではないだろうか

たとえば
かつての人々は神の決めた法則としてアリストテレスの「落ちる物体の速度は、その物体の重さに比例する」という説を信じた。なぜなら鳥の羽がゆっくりと落ちるのは目に見えるからである

現代の人々はガリレオがピサの斜塔で同じ大きさの木の球体と鉄球を落として地面に同時に落ちたことから物体の落ちる速度は等しいという説を"聞いて"信じているのである

真空状態で物体が落ちるのを自分の目で見たことがある高校生は少なく、まずその教室内にはいなかっただろう。

つまりは単に授業で重力加速度の存在を聞いて信じているだけだったのだ

ならばそれは落ちる物体の速度はその物体の重さに比例すると信じていた過去の人々と同じなのではないだろうか。

こう思うと常識のなかから矛盾を見つけ、新たなことを発見するということは 自己を貫き、また信じていることをも疑える能力が必要なんだなと思った

それはもちろん難しいことである。
しかし程度の差はあれ、斬新な発想が求められるのも事実なんだよなとも思った

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